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二次創作およびオリジナル小説(幕末~太平洋戦争と、ロマンス)や、歴史に関することなどのブログ
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白登山に月が昇る。

吹き付けていた風も収まり、代わりに、底冷えのする寒気が降りてきた。高祖は外衣を二枚まといながら震えている。

咳下がいかの籠城戦のようじゃのお。」彼は陳平に話しかけた。

「しかし、あの匈奴の子わっぱめ、
ときの声なんぞ聞かせおって、無粋な奴じゃ。せめて歌でも聴かせる才覚が欲しいのぉ」高祖は勢いよくくしゃみをした。

「陛下。」高祖の空元気に、陳平は苦笑している。

しかし、この空元気が、ここの兵達にとってどれほど心強いことだろう。そうだ。絶体絶命の危機を幾度も謀略で乗り切ったではないか。力がだめならば、あとは頭を使うのみである。


麓は匈奴の陣である。白登山を見上げながら、匈奴の武将達が集結していた。上座にいるのは、あの虎狼の双眸の騎士である。

「少し冷えて参りましたな。漢の将兵にとってはさぞ骨身に堪える事でございましょう。」

一人の将が口を開いた。その騎士は、微かに肯き、杯を口元に運んだ。別の将が、その騎士に尋ねている。

「明日は総攻撃になりましょうか。
単于ぜんう、我ら皆、漢の将兵をもって杯にせんと意気込んでおりまする。」単于とは、彼らの言葉で“皇帝”を意味する。

「諸将は、漢の皇帝をどう思うか。」騎士が口を開いた。

「年寄りでございました。取るに足らぬ。」

「その取るに足らぬ老人が、なぜ皇帝か。」単于の問に将軍達は皆沈黙した。彼らにとって尊ばれるのは豪傑であり、老弱は卑しむべき存在であった。

「思いますに、漢は人物が少なく、あのような者しか皇帝にならぬのではありませんか。」嘲るようにある武将が答え、哄笑した。他の将達もつられて笑う。

「その方、余が阿諛追従を最も嫌うことを忘れたか。」冷ややかな声だ。

座が水を打ったように静まりかえる。近衛の侍が、その武将を天幕から外へ引きずり出した。

「私がもし、漢の人間であれば、あの老人に仕えたいと思ったことでしょう。」そう答えた者がいる。単于とほぼ同年配だろうか、しかし、その骨相から匈奴の人間ではなく、明らかに遥か西方の民であることが認められた。

「あの老人には、おおらかさが感じられました。そして、上手くいえませんが、私がいなければと言う気持ちにさせる何かを持っておりまする。それが、あの老人の元に士が集まった理由かと存じます。」

「では、マルケルス、そなたは、あのような老弱に仕えるというのか。」やや年かさの将が呆れたように尋ねた。

「はい。」西方の男はそう答えた。

そのような考え方もあるのか。遊牧の民達はざわめいた。彼らには理解できぬ考え方である。

「それが、漢の考え方だ。我らとは違う。それが敵だ。」単于は静かに言った。

将軍達は互いに顔を見合わせている。困惑の表情が浮かんでいるのが見て取れた。


軍議は終わった。諸将は陣に戻り、兵に指示をしている。単于は一人傾きかけた月を眺めている。

「お見事な作戦でした。
冒頓ぼくとつ様。漢の皇帝は、もはや袋のネズミでございます。」マルケルスと呼ばれていた西方の男が口を開いた。

「そうではない。漢が我らを侮っただけだ。」単于は苦笑した。

「単于。将兵とも怒り狂っておりまする。単于への侮辱、一兵たりとも生きて国には返さぬと、総攻撃をすれば、大勝利は間違いないでしょう。」

単于は黙っている。

「漢の者達の中傷を気にされているのですか?」気遣わしげな声だった。

「何のことか?」

「その・・・」マルケルスは言いよどんだ。

「禽獣にも劣る心根か。」西方の男は黙っている。「捨て置け。」

その言葉にほっとしたように、西方の男は尋ねた。

「私には分かりません。なぜあのように、漢の者達は、あなた方を侮辱するのですか?」

「彼らは田舎者だ。」意外な答である。「あの南の盆地に引きこもり、世界を知らぬ。井の中の蛙なのだ。哀れな者だな。」単于は微かに笑った。

「作用でございますな。」マルケルスは肯いている。

確かに、秦の首都感陽や洛陽は屈指の大都会であり、中原の文明は四方の地域に比べて優れているかもしれない。しかし、西方から来た彼にとって、中原の“漢帝国”は、エジプトのアレクサンドリアなど建造物の華やかな大都市ををもつ国々の一つに過ぎなかった。

単于は彼に背を向けて、また月を眺めている。

「マルケルス。」

「は。」

「禽獣虎狼とて、親子の情はあるものを」背を向けたまま、匈奴の単于はひとりごちた。



単于ぜんう太子たいしアリ。名ハ冒頓ぼくとつ。”

史記のこの簡潔な文体を持って、世界史の舞台に躍り出たこの匈奴の英雄の名を知る者は、もはや誰もいない。冒頓とは、人名ではなく、「英雄」を意味するアルタイ語の音訳であることは定説となっている。

史記が紹介するように、冒頓は本来正当な皇位継承者であったが、父の側室に男子ができると疎まれ、月氏国に質として送られた。月氏国がこの人質にたいして、どのような待遇をしたかは、月氏の民ではなく西方の若い奴隷を侍従として与えたことからも想像がつく。さらに、父の単于は月氏国を攻め、皇太子を殺させるように仕向けたのであった。

しかし、冒頓は月氏の駿馬を奪い、近従の奴隷とともに祖国に帰還した。父の単于もようやく彼を認め、皇太子として遇するようになった。父の単于は、このことで息子との和解がなったと思っていた節がある。

だが、実の父に疎まれ、命さえも
ないがしろにされた経験が、若い皇太子の心にどのように刻まれていったかは、その後の彼の行動が如実に示している。彼が父の単于を誅殺し、王位を簒奪するまでの過程は、史記の「鳴鏑めいてき」の下りにはっきりと描かれている。


その夜のうちに、漢の陣から矢文が打ち込まれた。


次の日。漢の使者は匈奴の陣に赴いている。匈奴の王に謁見した使者は、目がくらみそうになった。漢の将より遥かに優れた体格の武人達。彼らの甲冑には全て、細密な金細工が施され、冬の微かな日差しにきらめいていた。草原に無造作に敷かれている分厚い絨毯には、極彩色の異国の花鳥風月がちりばめられている。昨日までの、あのみすぼらしく薄汚れた将兵達は一人もいない。その先に、匈奴の王が鎮座している。

「席に着かれよ。」亡命漢人らしき文官が声をかけた。

磨き上げた玉を献上し、使者は、滔々と述べ始めた。とにかく、和平に応じてもらわねば、全滅は必至である。口調は自然、懇願調になった。

匈奴の王が何事かを文官に話している。

「そもそも、ここは、周が起こる以前から我らの土地であった。それを、汝らが万里の長城なるものを勝手に建造し、我らに一言の断りもなく、長城以南を汝らの土地を決めたのである。これを侵略と言わずして何と言おう。余が、軍を率いたるは、失われし父祖の地を回復するためである。」

匈奴の王が文官の口を借りて高らかに宣言している。使者は慌てて答えた。

「確かに勝手に長城を作ったことは、秦の暴挙でありお詫び申し上げまする。しかし秦は暴虐の罪によって滅び、今、天命によって漢が起こり、漢は貴国と和親を結びたいと乞いねがっております。行き違いにより、このような事態と相成りましたが、今後は、貴国を兄と思い、漢は弟としての礼節を尽くしたいと思いまする。」

口にだしてしまってから、使者は不味いと思ったが、もう取り返しはつかない。今は、匈奴の王の機嫌を損ねないようにするのが精一杯である。

「弟としての礼節を尽くすと言うのならば、代の土地を全て我らに返して頂こうか。」

早速、匈奴の王は切り込んできた。

「代の変換も、弟としての礼節も、全ては、皇帝の帰還をもって正式に使者を立てまする。まずは平城での和平をお願い申し上げます。」使者も必死である。

「使者殿の申し出は全て、漢の皇帝を帰還させる方便と見受けられる。このような戯れ言につきあい、時を空費するは余の望むことにあらず。戻られよ。」文官が突き放した。

「方便ではございませぬ。我ら真心から・・」

献上した玉が使者のもとに戻された。もはや、交渉は決裂したのは火を見るよりも明らかである。顔色を失っている漢の使者に、文官は声をかけた。

「のどを潤されよ。」

輝く瑠璃色の杯が用意された。後に夜光杯と呼ばれるようになる西域の杯である。その輝きに使者は息をのんだ。杯には乳白色の液体が入っている。

恐ろしく酸っぱい。毒でも飲み干すような顔で使者はその液体を飲み干すと、早々に退出した。


戻ってきた使者を、高祖は罵倒した。

「全くどいつもこいつも役に立たん奴らばかりじゃ。このようなことならば、儂自ら、匈奴の子わっぱと、直談判した方がましだったわい。」

「陛下。」陳平が色をなした。

「本気でそのように思っておられるのですか。」

「なんじゃと?」

「本気でそう思っておられるのかと聞いているのです!」

陳平に一喝されて、高祖もすぐに事態を飲み込んでいる。相手は項羽ではない。人情に厚い項羽ならばこそ、口舌を用いることもできた。しかし、今度は違う。匈奴の王に、あの虎狼の騎士に、それが通じるとは思えない。

「陛下、ご安心下さい。」陳平の言葉に、高祖は怪訝な顔をしている。

「我に策ありです。」

しかし、使者は今逃げ帰ってきたばかりではないか。

「正使は戻りましたが、副使は未だとどまっております。副使に策を授けてあります。大船に乗った気持ちでお待ち下さい。」

陳平の芝居がかった態度はいつものことだったが、今回は、一層磨きがかかっている。

その態度に、高祖はじめ諸将は苦笑した。だが、謀臣・陳平の策に、白登山の将兵全ての命運が委ねられているのだ。

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