二次創作およびオリジナル小説(幕末~太平洋戦争と、ロマンス)や、歴史に関することなどのブログ
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マルガレーテ姫がゴートベルグに嫁いできてから、数ヶ月が過ぎた。公は、あの一夜以降、彼女を求めようとはしなかった。昼間は精力的に執務し、夜は寝室まで彼女を送ると、そのまま自分の部屋に引き上げた。私室で何をしているか、姫には解らなかった。おおかた女官か貴婦人と・・そう思うと姫の頬が染まる。あの男が何をしようと自分には関係ないはずだ。いっそこのまま、放っておいてくれればと、彼女は思うのだった。
ヘルマン一世は粗暴・残忍・冷酷であるとリーフェンシュタールではもっぱらの評判であったが、姫は、それにさらに強欲さが加わることを見いだした。公は税の徴収のための詳細な土地台帳を作らせていた。何と狭量で、猜疑心の強いことだろう。姫はリーフェンシュタールの度量の広さを懐かしく思った。あそこでは、貴族の寄進で全てがまかなわれていた。信頼に基づいた心優しき統治だった。
ある日、姫は私室で執務中の公に面会した。
「何のご用ですかな?」公や廷臣達は姫を見つめた。姫がこの部屋に来るのは初めてだった。
「あの、ゴートベルグ公ともあろうお方が、恥ずかしくはございませんの?」
あっけにとられている一同に姫は続けた。
「あなたのリーフェンシュタールでの悪評にさらに、上塗りをされることもないと思いますわ。」
「はっきり言ったらどうだ。俺は持って回った言い方は嫌いなんだ。」公は憮然としていった。
「では、申し上げますわ。」勝ち誇ったように言葉を続けた。
「あの土地台帳のことです。なぜ、貴族達を信頼なさらず、ご自身で徴収なさるのですか。しかもあのように、ヒツジ一匹、ガチョウ一羽まで調べさせて、あまりにも強欲ですわ。」
公は吹き出した。
「何が可笑しいんですの?」姫は憤然といった。
「だから、お育ちの良いお姫様は困るんだ。貴族達に任せてみろ。ピンハネするだけして悲鳴を上げるのは領民なんだよ。」
思いもかけない返答に姫は呆然とした。貴族が領民を苦しめる。そのような話はリーフェンシュタールでは一度も聞いたことがなかった。
「考えても見なかったのか?」
「ええ、そうですわ。リーフェンシュタールでは・・」
「そうだろうな。あそこは根っからの大貴族だ。下々のことなんか、思いもつかないだろうよ。」
自分の浅はかさが恥ずかしい。心の動揺を見透かされまいと、彼女は平静さを装った。私室を見回す。実用的なテーブルやいすの他はほとんど飾り気のない質素な部屋だった。公にふさわしいのかも知れない。姫はそう思った。壁の真ん中に紫色のカーテンが掛けられている。不思議なことに、その一角だけは優雅な雰囲気に包まれていた。カーテンの後ろに何があるのだろう。彼女は、近づき、カーテンに手をかけた。
「触るな!」語気鋭く、公が叫んだ。「あなたは、のぞき趣味でもあるのか?」
「あんまりだわ。」怒りで体が震える。
「そんなに見て欲しくないなら、鍵でもかけておいたらいいでしょう!」あまりの侮辱に、目頭が熱くなった。しかし、あの誓いを思い出し、姫はかろうじて涙をこらえた。
「悪かったよ。誰にでも触れて欲しくないものがあるんだ。」
公は、珍しく穏やかに声をかけた。触れて欲しくないもの、きっと想い人の絵に違いない。冷徹なゴートベルグ公にもその様な方がいるのだ。姫は彼の人間性に触れたような気がした。見ると、カーテンのある壁の反対側に大きな肖像画が二枚掛けられている。一枚は、白髪の老人の肖像、もう一枚は、年の頃四十ぐらいの貴婦人の肖像だった。二人ともよく似ている。姫は肖像画に見入った。切れ長のきつい瞳、痩せぎすで、頬骨の高い面長の顔、薄い唇、威厳はあるのだが、特に貴婦人の方はお世辞にも美しいとは言えなかった。
「先代のゴートベルグ公シュテファン三世だ。」ヘルマン一世が説明した。
「そして、こちらが、セシリア・ヴァルバラ姫、シュテファン三世の一人娘、先代ゴートベルグ公妃だ。」
なんてこと!
マルガレーテ姫はぞっとした。毒殺した二人の肖像を日夜、平然と眺めているとは、ヘルマン一世はどういう神経をしているのだろう。この男は人間ではない。悪魔だってもう少し人間味があるはずだ。
不意に、公に抱き上げられた。
「何をするの?」姫は総毛立った。「恥ずかしくないの?人前で」
「もう、人払いはすんだ。」公は冷笑した。見ると、家臣達は一人もいない。
「隙を見せたあなたが悪い。」
「誰か。」絨毯の上に姫は押し倒された。
「大声を出さない方が良いぞ。口差がない連中のネタになりたくなければな。」
姫はもがいた。しかし、押さえつけられ身動きができない。熱く乾いた唇が姫の柔らかい首筋をなぶった。触れられるたびに一種異様な感覚に包まれる。
「やめて、いや。」経験したこともない感覚に、彼女は戸惑った。
「そのうち、いやでなくなるさ。」
姫はのけぞった。肖像画の二人と目が合う。あの二人の前でこの男は・・
「止めて、あなたは人間じゃないわ!あの二人の前で私を犯そうとするなんて、恥ずかしくないの?あの二人がどんな思いでいるか?あなたには解らないの?」
公は手を放し、姫を見おろした。
「どんな思いでいるか、マルガレーテ姫、あなたに解るというのか?」
「そうよ、二人とも恨んでるわ。あなたを、呪っているはずだわ。」
「呪っているだと?」
「とぼけないで、セシリア・ヴァルバラ姫を誘惑して、ゴートベルグ公の椅子に納まったくせに。そして、邪魔になった二人を毒殺したくせに。」
「俺が、セシリア・ヴァルバラ姫を誘惑しただと?」
「そうよ。そうに決まってるわ。あげくに、二人の肖像画を飾るなんて、どうかしてるわ。」
呆れたように公はいった。
「どうかしているのは、あなただ。マルガレーテ姫。俺が色事師のような真似のできる男だと、あなたは、本気で思っているのか?」
今度は姫が呆然となった。確かにヘルマン一世が婦人を誘惑するなど、想像もつかない。いやそれよりも、この肖像画の貴婦人に、そのような姑息な手管が通じるのだろうか。
ヘルマン一世は起きあがると二人の肖像画を見ている。姫はドレスの乱れを直した。胸の鼓動が激しく波打っている。公に触れられたところがまだ熱い。
「リーフェンシュタールではそんな噂が流れていたのか。」絵を見ながら公は話しかけた。
「ええ。」小さな声で姫は言った。
「全くの誤解だ。そもそも、セシリア・ヴァルバラ姫の花婿に俺を指名したのは、シュテファン三世の方だったんだ。」思いがけない話に姫は声も出なかった。
「俺はその頃、一介の傭兵隊長だった。」公は遠い目をしている。
「俺の才能を認めてくれたシュテファン三世は、この国の未来をセシリア・ヴァルバラ姫と俺に託したんだ。公が直接治める国、大貴族の専横を許さない国に。」
「じゃあ、毒殺の噂は?」
「シュテファン三世は心の臓が悪かった。いつ死んでも可笑しくない体だったのさ。自分が死ねばまた国が乱れる。だから、死期を悟った公は俺たちに策を与えた。死んだことを伏せて、結婚式を行い、大貴族を呼び寄せて粛正してしまえとね。内心、うまくいくかと冷や冷やしたが、俺やセシリア・ヴァルバラ姫を侮っていた奴らはのこのこやってきたよ。その後のことは、リーフェンシュタールで聞いた話と大差はないさ。」
凄惨な場面を想像して、姫は気分が悪くなった。
「大丈夫か。マルガレーテ姫。」
「ええ、大丈夫ですわ。」姫をソファに座らせると、公はブドウ酒の入った杯を手渡した。姫の顔色が戻るのを確かめると、公は話を続けた。
「このゴートベルグ公国は三人で作り上げたようなものなんだ。シュテファン三世と、俺と、セシリア・ヴァルバラ姫と。」
「セシリア・ヴァルバラ姫はあなたのことをどうおもっていたのかしら?」
「彼女とは馬があった。」
「愛してらしたの?」
「愛?そんなもんじゃない。彼女は、俺より10歳も上だった。師弟関係といった方が良いかな。何をやっても俺は叶わなかった。戦うことしか脳の無かった俺に、策略を教えたのも彼女だった。男だったら名君の誉れ高かったろうに。乗馬も剣もなかなかの腕だった。」彼はため息をついた。
「俺たちは跡継ぎが欲しかった。特に彼女はそうだった。この公国を揺るぎないものにする男子を。だが、彼女は石女(うまずめ)だった。」
「なぜ、そう言いきれますの?」
「俺に、種がないのかと思ってためしたんだ。」直截な言い方に姫の頬が染まった。
「彼女は、八年前に死んだ。肺炎であっという間だった。」
それで、毒殺の噂が立ったのだと姫は納得した。
「辛かったでしょうね。」
「さぞ無念だっただろうな。彼女は。」肖像画を見つめながら彼はつぶやいた。
「あなたは?」
「俺か?俺は、そんな余裕もなかった。」ヘルマン一世の正統性を疑う隣国と戦争が起こったことは、マルガレーテ姫も知っていた。
二人は黙ったまま肖像画を見つめていた。しばらくして、公が静かに言った。
「俺は、二人を手にかけてない。信じようと信じまいとあなたの勝手だがね。」
「信じますわ。」意外な返事に、公は面食らったようだった。
「なぜ?」
「あなたは、そんなことで私に嘘をつくような人じゃない、そう思えるからですわ。それに、」彼女は続けた。
「あなたとセシリア・ヴァルバラ姫との間に愛は無かったっておっしゃったけど、そんなこと無いわ。あなた方は愛し合っていたんですわ。これだけ信頼しあっていたんですもの。それに、彼女が愛してもいない人の子供を欲しいなんて思うはずがないわ。」
ゴートベルグ公は、しばらく姫を見つめていたが、ぽつりと言った。
「マルガレーテ姫、あなたは、本当に心の綺麗な人なんだな。」
その言葉は、姫の心に染み通った。不意に胸が痛んだ。急いで部屋を出ると寝室に駆け込んだ。自分が公に対し、ひどく不実な気がした。涙が頬を伝う。この国で流すであろうと考えた涙とは全く違うものがあふれだした。声を押し殺して泣きながら、彼女は愛する人のことを思った。
ローランド、あなたに会いたい。
遠く離れた騎士を思い続けることができたのは、ひとえにヘルマン一世への憎しみあればこそであった。粗暴・残忍・冷酷なゴートベルグ公。そう聞かされてきたことの多くが、悪意に満ちた噂に過ぎないと知った今になっては、公に対しどう接して良いのか解らなかった。このまま、ここで暮らし続けたら、自分は一体、どうなってしまうのだろう。
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